8月のカレンダー

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

各月の日キラ

    ゴジラ/1954

メタキャットさんの公開日キラ

2014年
08月10日
23:03

ゴジラ/1954


日本の怪獣映画の元祖ですねヽ(゜▽、゜)ノ

すべての怪獣映画はここではじまったわけです。

そして意外な事に最初から、非常に真面目に作られています。

っていうことで、

この映画で語られる所の「ゴジラ」とは何なのか?

についての考察を述べたいと思います。





ゴジラ!!ヽ(゜▽、゜)ノ





この映画で語られる「ゴジラ」とは、ズバリいえば「理不尽」あるいは「不条理」そのものです。

今から200万年前に生息して、海底の洞窟に潜んでいた太古の生物が水爆実験の影響で安住の地を追われ、出現した。

のではないか?と作中説明されていますが、断定ではありません。

つまり、その存在が「理不尽」です。


また、

もし、仮に、水爆実験の影響で安住の地を追われたのだとしたなら、ゴジラにしてみれば、人類(この場合アメリカ)の行った水爆実験、いや、人類という存在そのものが「理不尽」でしょう。



いっぽう、人類の一部であるところの「日本人」にとって、

確かに日本人が人類の一部の存在とはいえ、

自分たちが行ったわけでない水爆実験の結果、

何故ゴジラに襲われるなければならないのか?


まったく意味不明の「不条理」です。





ゴジラの顔が最初に出た瞬間!ヽ(゜▽、゜)ノ





ゴジラが復讐すべき相手は、水爆実験を行った連中(多分アメリカ)であるべきであり、唯一の原爆被災を被った日本人であるわけがないのではないでしょうか?

それこそ、理不尽の限りです。

が、しかし、物語では、ゴジラは、そんな不条理におかまいなく、東京を襲うのです。


それも、その9年前にアメリカのB-29が爆撃したコースに従ってです。

このゴジラの通ったコース、これは何を意味するのか?

つまり、ゴジラはアメリカを象徴しているのです。





戦後9年…復興したばかりの東京が燃える!





水爆実験したのもアメリカなら、東京を蹂躙したのもアメリカ

アメリカの不条理さ、理不尽さを象徴している存在、それがゴジラなのです。

となると、この映画で言いたい事はこの部分に関しては実に明確で

破壊王、キングオブモンスターがゴジラだとするなら、

ゴジラ=アメリカであり、

アメリカ=破壊王、キングオブモンスターである!!

つまり、反米映画なのです。


そう、ゴジラは反核映画だとよく言われますが、その核を人類に使った国って歴史上唯一どこ?ってアメリカなんですからね。





破壊王のお通りだぁ!





なにせ、時は1954年です。

日米戦争の傷跡も記憶もナマナマしい時代です。

映画内には何気に次々と以下のセリフ表れます。

「長崎の原爆から命拾いしてきた」

「あァあ、疎開か……全く厭だなぁ」

「ね、もうすぐ、もうすぐ、お父ちゃまのところに行くのよ」


まさに当時の世相、雰囲気がよく表れています。

でもって、今でこそ、その後の日本の高度経済成長も知る所ですが、当時の日本では、まだ、先の事なんか何もわからないのです。

ソ連なんか全然元気だし、中国も共産化し、朝鮮戦争もはじまっています。

共産主義こそが、資本主義に変わる正義なのではないか?と思われていた時代でもあるのです。

アメリカが必ずしも正義だとは言い切れない価値観の時代なのです。

であるからこそ、「ゴジラ」の反米性は明確に表れているのです。

反米こそが、反戦だったからです。





死を決意する母子(´;д;`)





さらに言えば、今でこそ、日米戦争は日本が悪い。日本は悪の帝国だったんだ。的な論調が朝日新聞の度重なる洗脳記事で吹聴され、左翼を中心に常識化していますが、

当時の日本人にしてみれば、戦争の原因がすべからく日本ばかりが悪かったからだなんて思ってもいません。

せっかく満洲を取り込みうまくやっている日本にアメリカがちょっかいを出して来たという感覚の方が強かったんじゃないでしょうか?

※そもそも何で直接被害を被らせたわけでない日本に対してアメリカは石油禁輸とか強行手段をもって、日本に対米戦争を決意させたのか?とか。

つまり、アメリカの理不尽な要求に反骨したら徹底的にやられた!感が強かったと思うのですよ。当時の日本人は!


わけわからねぇよアメリカ!

恐いよアメリカ!

その象徴が=ゴジラなのです。





和光の社長を激怒させたシーン





ですが、実は同時に、ゴジラは、日本そのものだとも言えます。

何故ならば、ゴジラは日本と同じ「被爆者」だからです。

故に彼は日本と同じく「核」を憎んでいるのです。

「ゴジラに光を当ててはいけけません。ますます怒るばかりです。」

古生物学者の山根博士は夜半上陸したゴジラにサーチライトを当てる防衛隊に叫びます。

何故ゴジラは光に怒るのか?

それはゴジラを目覚ました水爆実験の光を連想させるからです。

ゴジラの皮膚がゴツゴツしているのは、水爆によって生じたケロイドだとも言われています。

放射能を浴びたゴジラは自らが放射性生物として放射能をまき散らすわけですが、それは本来のゴジラではなく、アメリカの行為の結果、ある種「やむを得ず」そうなったのです。

あたかも「やむを得ず」戦争の道を進んだ日本とも同じだと言えるでしょう。

つまり、ゴジラは被害者なのです。

誰の?「アメリカ」のです。





夜を支配するゴジラ!正直恐い!(;・ω・;)





加害者だけど被害者。

まさに戦争時の日本の姿そのものなのです。

ゴジラ=アメリカ

同時に

ゴジラ=日本

なのです。

ここにも不条理さが表れます。

そして、それこそが、日本人の価値観だとも言えるでしょう。

絶対の正義も、絶対の悪もない

それがゴジラなのです。





東京を蹂躙したゴジラは海に去って行く





では、そのゴジラはどうするべきなのか?

二つのシナリオが作中提示されます。

一つは

 殺す!

もう一つは

 生かして研究する!


この二つは実は、双方ともその実現は同等に難しかったのです。

何故ならば、

・水爆の中でも生き残るゴジラはどうやって殺すのか?

あるいは、

・東京を破壊しまくり蹂躙するゴジラをどうやって研究できる状態まで制御して生かせるのか?


しかし、生かす方法はわからずも、殺す方は、手段が提示されます。

それは

オキシジェン・デストロイヤー!!

これに掛かれば、ゴジラなどすら容易く殺せる究極の兵器です。

水爆すら倒せないゴジラをです。



このオキシジェン・デストロイヤーは、戦時中に軍に研究を求められた芹沢博士の秘密の発見発明品です。





芹沢博士とその婚約者恵美子嬢





その秘密を婚約者恵美子嬢に明かした芹沢は断言します。

「もしもこのままなんらかの形で、使用することを強制されたとしたら、僕は、僕の死と共に、この研究を消滅させてしまう決心なのです」

というのは、芹沢としては、「オキシジエンデストロイヤーを社会のために役立つものに」しようとしていたからです。

その道筋がまだたっていなかったから、彼はその存在を秘密にしていたのです。





放射能を受けた少女…医者が首を振る





が、しかし事は切迫しています。

ゴジラの恐ろしいまでの被害に接した恵美子嬢は芹沢の秘密を、恋人の尾形に明かします。


ん?ちょっと待って?

恵美子嬢は、芹沢婚約者

恵美子嬢には尾形という彼氏がいる

ここにも不条理な現実がΣ(°Д°;)exclamation&question





恵美子嬢と彼氏の尾形





そう、恵美子が婚約者である自分との約束を破って秘密をバラし、さらには彼氏を連れてくる。

さらに、これ使う事になったら、オレ死ぬよって言っているのにもかかわらず、恵美子と尾形はオキシジェン・デストロイヤーを使えというのです。

これって、つまり婚約者に「死んで!」と彼女の新しい彼氏の前で言われているのと同じです。


なんという不条理Σ(°Д°;)exclamation&question

それを芹沢は体現するハメになったわけです。

そして、その理不尽な不条理を前に芹沢は、テレビでゴジラの惨状を伝える放送をも目にし、

オキシジェン・デストロイヤー!!

使用を決意します。

すなわち「死の決意」です…。





水爆をも凌駕する究極の兵器!オキシジェン・デストロイヤー!!





ゴジラの生存研究を主張する恵美子の父、古生物学者の山根博士を含む、芹沢たちは、防衛隊の艦艇と共に、東京湾に潜むゴジラの元に望みます。

そして、見事芹沢のオキシジェン・デストロイヤーはゴジラを白骨化し溶かし消し去るのです。





断末魔のゴジラ(´;д;`)





理不尽かつ不条理の消滅です。


普通の物語なら、モンスターを英雄が倒して終わり、めでたし、めでたしなのですが、本作は違います。


芹沢は約束したように、ゴジラの死を見届けた後自らの命を断ちます

それは、科学者としての良心であると同時に恋の戦いにおける敗北の結果とも言えます。

だが、しかし、それで、恵美子とその彼氏の尾形は幸せになれるでしょうか?

この自殺により恵美子は絶対深く傷つくでしょう。

彼女が本当に心優しい女性ならば。

といういことは、この自殺は芹沢の恵美子に対する復讐とも言えるでしょう。

ゴジラの東京破壊と同じなのです。

ああ、恋の理不尽!

※っていうか失恋自殺のとばっちりをゴジラが受けたとも解釈できますね(^▽^;)





誰からも理解されない苦しみの中死を決意する芹沢





さらに追い打ちを掛けるように恵美子の父である山根博士はつぶやくのです。

「……あのゴジラが、最后の一匹だとは思えない……もし……水爆実験が続けて行われるとしたら……あの、ゴジラの同類が、また世界の何処かに現われ来るかも知れない」





あのゴジラが、最后の一匹だとは思えない





山根博士は、ゴジラの生存保護と研究を主張していた人物です。

その彼の最後のこのセリフは、水爆への警告なのでしょうか?

いや、そうではなく、むしろ、次のゴジラ出現への「希望」と言えるのではないでしょうか?

そもそも、水爆実験をやっているのは、日本人ではないんですから。

水爆実験をやめようなんて、当時の日本が言ったところで、実験の主体者じゃないんですから、意味は弱いのです。

山根博士は、

「どうせアメリカは水爆実験を繰り返すだろ。

 そしたら、またゴジラは現れてくれるだろう。」


と、期待と希望を残したのです。

誰に?

そりゃ、もちろん、観客にです。

何で?

だって、観客は絶対この映画を見て思うと分かりきっていたのです。

「ゴジラが可哀想だ!」

と。





ゴジラは被害者(´;д;`)





そして、事実、本作公開後ゴジラが可哀想だとの大合唱が起こったのです。

それを見越した上の希望のセリフなのです。




でもって、

何故ゴジラが可哀想なのか?って?

何故なら、ゴジラは「被害者」だからです。

また、ゴジラを葬り去った芹沢もまた恋の敗北者です。





芹沢は恋の敗北者だった(´;д;`)





被害者にして敗北者にして加害者でもある存在。

つまり、日本そのもの!として、ゴジラは可哀想だと、観客は感じ取るだろうと、制作者は読んでいたのでしょう。

事実、ゴジラの完成上映会が終了した時、客席から一人、立ち上がることなく、「ゴジラが可哀想だ」といつまでも泣いている人物がいたんだそうです。

誰あろう。原作者である香山滋氏だそうです。





破壊者なのに愛されてしまったゴジラ!





東京を蹂躙し人類を滅ぼしかねない存在の死を、可哀想な存在だと表現する国民性がどこにあるんでしょうか?

それが日本なのです。



故に、鑑賞後、実に複雑怪奇な気分にさせられるのが、この「ゴジラ」という作品の特徴です。

また、それ故に、この作品が日本において異常な大ヒットを飛ばすこととなったといっても過言ではないでしょう。

ちょっと歪んだ日本人の心を打ったというか…。



当初、絶対の破壊者であったゴジラが、その後、シリーズ化となるうちに、人類の味方になってしまうのは、

それは、ゴジラが、日本人の「愛」に答えてしまったからだと言えるんじゃないでしょうか?

スーパーマンは何故人類の味方なのか?

それは人類の両親に愛され育てられたから!

と同じです。

ゴジラが何故日本人の守護神になってしまったのか?

それは、日本人がゴジラを愛してしまったからです。


また、ゴジラに破壊されているにも係らず、その後の日本はしっかり発展してゴジラ以上に立派な高層ビル群をつくりあげて行きましたヽ(゜▽、゜)ノ

つまりゴジラなんて「なんくるないさーーー!」と日本が発展していくのが、実はその後のゴジラシリーズとなったわけです。

だけど、いや、そりゃ、ちょっとあり得ないだろΣ(°Д°;)

ゴジラに蹂躙され、放射能だらけにされた東京は、そんな奇跡の発展もなければ東京オリンピックも無いだろうと考えるべきでしょう。

本来(・ω・)

ということで、その後のゴジラシリーズは、この際、この最初のゴジラとは切って考えましょう(・ω・)



でね、昨日はGODZILLA/2014について語りましたが、

なんで、ゴジラシリーズとしては、正しいと評価される今回のGODZILLA/2014でさえ、本作には叶わないのか?

っていうならば、

そこには本作で描かれたゴジラ本来の「怪」獣の「怪」である部分、すなわち「理不尽」「不条理」が弱いからです。

ていうか、世の中を単純ヒーロー化して分かりやすくするハリウッド系の演出では、決して、本作のような、「理不尽」「不条理」は描けないだろうと思うのです。

いや、今の日本映画も同じです。

ゴジラは1954年に誕生したからこそ、傑作となったと言って過言ではないでしょう。

そこには、確かにもののあはれ的なものがあるからです!


がしかし、1954年のゴジラを傑作だと理解出来る人たちは、この後どこまで残るのか?

見た目の映像迫力、臨場感なら、最新作となればなるほど、1954年など比較ならない程発展するでしょう。

そればかりに目を捕われるようであっては、決して、1954年のゴジラの傑作性は理解される事はないだろうなと、私はやや悲壮に思うのですが。





恵美子役の河内桃子とおデートするゴジラ





ってことで、本作のメタ猫的評価は

★★★★★+ヽ(゜▽、゜)ノぴかぴか(新しい)

過去最高となりました(´・ω・`)

技術とかストーリーとか作品性ばかりでなく、時代の雰囲気に対する記録性という意味もあります。

あるいは民族の記憶!というべきかヽ(゜▽、゜)ノ


他の映画の感想は、こちら⇒メタ的映画評価



※書いているうちに気がついたんですけど、ゴジラって、恵美子と尾形が出来ちゃった事にトチ狂った芹沢博士の情念と嫉妬と妄想の産物で、それを芹沢自らが自殺することでカタつけた物語!とも解釈出来ますね(・ω・)